か〜なり私事ではありますが、今年の1/18に右脚アキレス腱断裂をしてしまっていたのですが、本日リハビリを卒業しました😌
それでリハビリが終わったら絶対に書きたいと思っていたので稚拙な文章ではあるのですが、少しばかり表題の通りなのですが「パーフェクトワールドとアキレス腱断裂についての考察」を書かせてください🙇🏻♀️
私は現在高校2年生で、怪我をしてしまったのは高校1年生の冬です。
バドミントン部に所属していて、シングルスをしていたのですが、12月頃に先輩とダブルスを組ませて頂くことになりました。最初はダブルスの事なんてちっとも分かっておらずダメダメだったのですが、練習を重ねる度に上達していって少しずつ勝てるようになっていました。
そんな時の練習中、右脚から「バンッ」という太いゴムが切れたような音がして私は驚いてしゃがんでしまいました。「大丈夫?」と一緒に試合をしていた先輩方が心配して下さって反射的に「大丈夫です!」と答えたのですが、立とうとすると今までに経験したことの無い痛みが走りました。病院に行くと「右脚アキレス腱断裂(後ほど知ったのですが完全断裂だったらしいです)で半年はかかる」とのことで松葉杖での不自由な生活が始まりました。
次の日の土曜日は親にも顧問の先生にも担任の先生にも止められて学校に行かずにひたすら家にこもりっきりでした。怪我した当日もですが、この日もずーーーっと泣きっぱなしで、勉強をするため座ろうとしてもどんな体勢でもきついということに気づいてしまいました。もちろん立つのも松葉杖なのできついです。寝ると言ってもギブスを付けているから寝返りがなかなか出来ない。もう何をしていてもきついという現実に直面しました。
そして月曜日。親に負担は掛けたくないと思って1人で学校まで行くことにしました。結論を先に言うと、地獄でした。
通勤通学ラッシュで周りが急いでいる中自分も急ぎたい気持ちでいっぱいでした、ですが早く歩ける訳もありませんでした。改札で定期をタッチするのに時間がかかるのでたくさんの人に抜かされました。
私の利用する駅はその線の始発駅なので座ろうと思えば座れるのですが、その待機列の時にずっと片足で立っているようなものなので左脚が疲れ果てていました、その上後ろから押してくる人もいました。
電車では座れたから良かったのですが、降りる時が大変で、「すいません」と言っても避けてくれない方がいたりしたし、挙句の果て右足で履いていたスリッパがその合間に脱げてしまっていたらしく「スリッパ脱げてるぞ!」と声を掛けてくださって電車の中から投げて頂いた時は、怪我人で手渡しが難しいからという事だったと思うのですが、当時の私にはそうとは分かっていても投げられた所で履けるという訳では無いので泣けてきてしまって帰りたくなりました。
普段使っている学校の最寄り駅なはずなのにエレベーターを探すのにも時間を要しました。
駅から出てからしばらく続く坂道はいつもは感じない程の傾斜なのにも関わらず、私には急すぎるよえに感じました。
同じ学校の他学年の人達にたっくさん抜かされて虚しくなったし、歩くのを諦めてバスに乗ったのですが段差が上がれなくて座ることが出来ませんでした。
しかし、学校に行くと「大丈夫?」と心配してくれる友達がいて、私の為に泣いてくれる友達もいて、救われた気持ちになりました。
その後、部活にはやはり関わらせて欲しいと思い、球渡しなどマネージャーの様な立場で参加させて頂いていました。
松葉杖生活は結局5ヶ月ほど続きました。
リハビリに来ているおじいさんやおばあさんが「どうしたの?」と聞いて下さって色々な話をして下さったり、バス停の近くのお店の警備員さんと仲良くなったり、エレベーターでたまたま居合わせた方に「大丈夫?頑張ってね」と励まして下さったりしました。
ただ、あまり良くないこともたっくさんありました。松葉杖というのはやはり安定感が悪く、私はリハビリの方や先生方、友達にも「上手だね」と言って貰える程度にはかなりの腕前だったのですが、本当に毎日転んでいました。特に雨の日などの駅の床は滑りやすく、2、3回転ぶ日なんかは普通にありました。ですが、その様な時に助けてもらった事は約5ヶ月の間で1、2回しかありませんでした。それが1番辛かったです。
また、家族も松葉杖の私に慣れてきたのだと思います、私に対しての当たりが強い日も当然ありました。ですが、その中に「怪我しているんだから出来るわけない」という事もありました。しかし、その事を言っても伝わらない日もありました。
友達も慣れてきて、部活終わりに1人置いていかれる時もありました。
松葉杖だから全く友達と遊べていなかったし、リハビリには毎日通わないといけなかったし、そのせいか成績はガタ落ちしてしまいました。
先輩の卒業式でピアノ伴奏をする予定だったのに式の進行上松葉杖だと時間がかかるという理由で降りることになってしまいました。
ですが、どれもこれも自分のせい。自分が怪我したのがいけない。何なら自分が周りに感謝しないといけないし謝らないといけない。どんどん自信は無くなっていきました。
人を助けるどころか周りに迷惑ばかりかけて、どうして私は生きているのだろう、部活を続けているのだろう。私は害なのではないか、どうして周りと違って私が辛い思いをしなければならないのだろう。
そう考えると毎日涙が出てきてこんなのなら消えてしまえば良いのにと不覚にも思ってしまう時もありました。
前述の通り寝るのにも体勢が難しいし、毎晩泣いてしまっていたので、怪我のせいで疲れ果てているのにも関わらず毎日布団に入っても数時間は寝られないという日が続きました。
そんな時に訪れたドラマ「パーフェクトワールド」。私は普段テレビは全く観ることがなく、強いて言うなら「花のち晴れ」という感じだったのですが、日常に楽しみを見つけようと思い、
SixTONESの松村北斗(この時点で既にハマってた)が出ているということ、車椅子の話らしいということ、この2つが理由で観始めました。
やはり結論から言うと、本当に良いドラマでした。というか、何より忠実に表現してくれていました。
障害者を相手とするつぐみ(山本美月ちゃん)やしおり(岡崎紗絵ちゃん)、つぐみのお父さん(松重豊さん)の対応が自分の周りとそっくりそのままだった。
何かしてあげよう、何かしてあげようって思ってくれるその想いは本当に嬉しいのだけど、自分でした方が早かったりする。
障害者ということだけで避けられたり邪気にされたりする。そもそも人間と思われていないような対応をされることもある。
これには共感してくれた方も多いのかな、と思います。
対して樹(松坂桃李さん)や晴人(松村北斗さん)。こちら側の気持ちはどのぐらい伝わったのでしょうか。私がそもそも障害者でもなく、ただの怪我人なのにも関わらずそんなに言えることでもないのですが、私からするとすごく共感するところがありました。
やっぱり障害者と怪我人とは違うのかもしれないけれど、似てはいるのかな、と思えました。
迷惑なのは知っている、自分も出来ることならば1人でまともに生きたいし、健常者と同じように自分で出来ることは自分でやりたい。
周りから変な目で見られたくない、周りの人と同じ様な視線で同等に見積もって欲しい。
だけど出来ない事もある、周りから『障害者』という括りで見られていることも分かってる、それが辛い。
『俺たちに幸せになる権利はないのかねぇ』
『自分だけ悲劇の主人公ぶんなよ』
『なんで傷ついた人間にあんなに厳しく出来んのってぐらい厳しくって』
『俺ら所詮障害者だし、健常者と同じ様にいかないよね』
『だからそういうのが余計だって言ってんだよ!障害乗り越えるとか、受け入れるとか、無理なんだって、そんなの何年かかったって出来ることじゃないんだって、みんな平気じゃないけど、平気なフリして生きてるだけなんだって』
『好きでこんな物に乗ってるわけじゃない、歩けるものなら歩きたいです。障害を負ったからこそ、学べたことは山ほどあります。でもだからって、障害者で良かったなんて思ったことは1度もない。なんで自分だけこんな目にって、今でも思うし、出来ることなら障害なんてない人生を送りたかった。それが本音です。』
『いや俺はほら、元々ハンデがあるから、健常者と対等になるには、人一倍頑張らないとね』
『そうなのかなぁ、確かに晴人には分かりやすく義足っていうハンデがあるけど、誰だって弱点はあるじゃん。弱点や欠点が無い人間なんているわけないし、って事はつまり、最初から対等なんじゃないの?』
『完璧な人間なんていない』
これ以外にもたっくさんあるけど、私の心に残った言葉たちです。特に『みんな平気じゃないけど、平気なフリして生きてるだけなんだって』っていう言葉が私の気持ちをそのまま代弁してくれた気がしました。
このドラマを見て、本当に励まされました。私ももうちょっと堂々と生きていいのかな、そう思えました。
このドラマを観た人がみんな、障害について考えてくれたらいいな、そう思いました。
そしてパーフェクトワールドの辺りのananでの松村北斗の一言『たとえ平等ではなくても、みんなが成功する世界が理想。』
これに尽きるな、と思いました。
確かに私のアキレス腱断裂をしたという経歴はもう2度と消すことはなくて、いつまで経っても右脚のアキレス腱には違和感が残ると思うし、いつまで経ってもアキレス腱には気を付けておかないといけない。
だけど、そうだからと言って、その過去にずっと居たままで良いわけがない。その過去をどうやって将来に繋げるか、それが最も肝心なんだ。
そう気づかせてくれた1文でした。
今私はほぼ完治していて、ほとんど不自由なくバドミントンを出来ています。毎日が楽しいです。ストレスなく座れているだけで、すぐ寝れるだけで、歩いたり走ったりできるだけで本当に嬉しいです。
私は将来自分がどんな仕事をするかなんて知りません、何なら学部でさえもまだ決められていないような状況です。
だけど絶対にこの怪我の経験は忘れちゃいけない、そう思っています。毎日苦しんでいたこと、その反面少し楽しいこともあったこと、だけどやっぱりきつかった、しんどかった事。
もっとたくさんの方々に障害、怪我とは何か、その対象者が何を求めているのか、それを知って欲しいです。
そして、何かしらの形で、人を支えられるような人になりたい。
大切な事を教えてくれて、励ましてくれたパーフェクトワールド、そしてこのドラマに出会わせてくれたきっかけとなった松村北斗、本当にありがとう。
これからも前を向いて、人の為になれるような人になる為に頑張ります。
長文失礼致しました🙇🏻♀️